TAKERU FESTIVAL 2010 〜TAKERU-DEN〜 03/16 14:00 感想編
レポが思いの外長くなったので感想は分けることにした。と言う訳でたけるでん感想編。
一番に思ったのは「会場の全員が参加出来て楽しめるイベントにしよう」という配慮が伝わってくるイベントであったということ。部分的に個人に偏ってしまうのは仕方ないものの、そのチャンスは全員にあり、それも含めてみんなが楽しめるようそれぞれの企画を練ったのだろうなと思った。
ファンのためのイベントとひとことで言ってしまうと簡単だけど、健くんがファンを大切に思う気持ちはいろいろなところから伝わってきた。たとえばイベント中客電は落としているのだが、演出の関係上必要な場合以外、ずっと客席すべてをライトで照らしている。3階席など表情はもちろん顔の判別など出来なさそうだし、それ以前に健くんは目が悪いのでアリーナですらどうなんだろうとも思うのだけど、きっとみんなの顔が見たいんだろう、表情はわからなくても雰囲気はわかるからそれを感じたいんだろうと思った。
他にもあるのだけど、言葉で説明するのが難しい。常に客席中に気を配り、出来うる限り公平に平等にと振る舞うあの感じは実際に見てもらわないとわかりにくい。
そして健くん自身について。
いつものことだがほとんどビジョンは見てなかった。健くんとビジョンの位置はちょっと視線をずらす程度だったのだけど、やはり肉眼で実物を見るのと映像を見るのでは違う。見えないものが感じ取れない。そしてほとんどずっと実物の健くんを見ていて思ったのは、映像で見るそのまんまだということ。
あまりの捻りのなさに自分で自分にがっかりするが、本当にあのまんま、あれ以上あれ以下でもない“気”だった。違いは「実物だからすごくクリアでダイレクトに感じ取れる」くらい。そしてずっと見ていて気づいたんだが、健くん、女の子の前だと格好つけるのにときどきボロが出るのな。
去年の健フェスでは気づかなかったけど、この1年見てきたせいもあるのか、それとも健くん自身がファンに対して以前より心を許しているのか、格好つけてるのにときどきとても子供っぽい言動になる(HT鍋DVDで見せていたような)。それと去年は場の空気を読んで期待する反応に応えようとしてたところがある気がするんだけどそれはなく、自然体で会場の皆と楽しもうという感じだった。
唄に関しては「最愛」を唄った時点で生歌は終わりだと思ったので最後にたくさん聴けてとてもうれしかった。上手いとは思わない、普通だと思うけどこういうイベントで聴かせられるくらいには唄える感じ。カラオケの上手いっていうのとは違う、素人の唄い方とは違う感じ。そして去年も思ったけど健くん声が出るんだ。ちょっとたどたどしい感じではあるものの、ちゃんと唄えるし、ちょっと頼りなげで寄り添いたくなるような歌声は好きだ。
それに唄の方が健くんが見えやすい。特にミスチルを唄うときは普段見せない部分がよく見えて「そりゃこんなの見たら好きになるよなあ」としみじみ思った。たぶん自然に気持ちが入ってそれが表情に出るんだろうな。それで繊細さや純真さ、潔癖さが見えてしまうんだろう。自分自身も含め、物事に対して客観的で適切な距離を置き己の思い描くさまに近づけようとするのは、きっと善くも悪くも健くんが澄んでいるからだと思う。唄っているとき「最愛」「残像」「口笛」以外はステージを移動し、距離はあるものの立ち止まってほぼ正面で唄うその姿からもそれは見えた。
何だかまとまらないがまとめると、佐藤健という俳優がどういう人であるか、どれだけファンを大切に思っているかがわかるイベントだった。最後のメッセージを聞いててちょっとだけ申し訳ない気持ちになったけど(あたしは健くんの仕事をあまり評価しないので)、とても大切にされているんだなと思って涙が出た。うれしいとかしあわせとかそういうのを通り越して、うれし過ぎて胸が痛くなった。なんでこんなに思ってくれるんだろう、どうしようもなく好きだと。
こういうことを書くと「すごく痛い人だな」と自分でも思うのだけど、本当に本当に健くんが好きだと思い、そしてとても楽しくて、その楽しさと健くんに酔いしれた時間だった。
以下戯言。書ききれず後から思い出したことの覚書。順不同。
・「ずっと二十歳になりたかったし、二十歳って1番いい歳ですよね」
・たける検定で8問出題されたと言われ、考えるような顔でマイクを握った手の人差し指だけを立てて数えるように動かしていたのに「うわー!」となった。
・「春馬」と言うのが生で聞けてとてもうれしかった。三浦春馬くん、春馬、春馬、春馬、春馬くん、と計5回言った(はず)。
・やっぱり生が好き、はそれしか想像出来なかった。みんなそれを想像したのであえて誰も突っ込まなかったんだと思う。
・とにかくかわいかった。かわいいという声もたくさん上がった。健くんより明らかに年下の女の子もかわいいを連呼していた。
・どうしてもどんな顔をしてるのか知りたくてときどきビジョンを見た。リラックスして楽しそうないい表情ばかりだった。
・客席とのやり取りは去年より少ないと感じた。
・通、ルイルイとのパフュームは本当にかわいかった。去年は笑っちゃったけど今回のはただただ「かわいい!」と見入った。
・これまでテレビで見て何度も思ったことだが座り方が女の子っぽいと思った。
・ときどき春馬くんの言う「たける語」が出た。イントネーションや語尾が変だったり女の子っぽかったり。
・髪伸びた!
・てゆうかマジで本気になりそうだ。やばい。
・戯言なのにテンション低いのはそのせい。いろいろ忘れてるからってのもあるけど。
以下余談。
あたしは健くんが好きだが、あたしの好きな健くんは幻想だと思っている。自分の頭の中で作り上げた佐藤健像を好きになっているだけだと。そしてそれを前提として。
実物を目の前にし「実在は強い」と思った。ビジョン見てなかったからっていうのも大きいんだろうけど、健くんが持ってる空気やなんやらがダイレクトに自分に届き、それは頭の中で作り上げた健像より強い。実在、触れればその存在を実感出来るという物理的事実は感覚に訴えるものが強い。
でも同時にそれは幻想としても存在する。目の前の実在はフィルターを通してリアルタイムで幻想へと変換される。交わることなくどこまでも平行して存在する実在と幻想。
あたしは健くんに限らず対象は決して手を触れられない存在でいて欲しいので「これは幻想だ」と線を引く。引くんだけれども、健くんを見ていて実在と幻想が同時に自分の中に存在した、とイベントが終わってから思った。
一番に思ったのは「会場の全員が参加出来て楽しめるイベントにしよう」という配慮が伝わってくるイベントであったということ。部分的に個人に偏ってしまうのは仕方ないものの、そのチャンスは全員にあり、それも含めてみんなが楽しめるようそれぞれの企画を練ったのだろうなと思った。
ファンのためのイベントとひとことで言ってしまうと簡単だけど、健くんがファンを大切に思う気持ちはいろいろなところから伝わってきた。たとえばイベント中客電は落としているのだが、演出の関係上必要な場合以外、ずっと客席すべてをライトで照らしている。3階席など表情はもちろん顔の判別など出来なさそうだし、それ以前に健くんは目が悪いのでアリーナですらどうなんだろうとも思うのだけど、きっとみんなの顔が見たいんだろう、表情はわからなくても雰囲気はわかるからそれを感じたいんだろうと思った。
他にもあるのだけど、言葉で説明するのが難しい。常に客席中に気を配り、出来うる限り公平に平等にと振る舞うあの感じは実際に見てもらわないとわかりにくい。
そして健くん自身について。
いつものことだがほとんどビジョンは見てなかった。健くんとビジョンの位置はちょっと視線をずらす程度だったのだけど、やはり肉眼で実物を見るのと映像を見るのでは違う。見えないものが感じ取れない。そしてほとんどずっと実物の健くんを見ていて思ったのは、映像で見るそのまんまだということ。
あまりの捻りのなさに自分で自分にがっかりするが、本当にあのまんま、あれ以上あれ以下でもない“気”だった。違いは「実物だからすごくクリアでダイレクトに感じ取れる」くらい。そしてずっと見ていて気づいたんだが、健くん、女の子の前だと格好つけるのにときどきボロが出るのな。
去年の健フェスでは気づかなかったけど、この1年見てきたせいもあるのか、それとも健くん自身がファンに対して以前より心を許しているのか、格好つけてるのにときどきとても子供っぽい言動になる(HT鍋DVDで見せていたような)。それと去年は場の空気を読んで期待する反応に応えようとしてたところがある気がするんだけどそれはなく、自然体で会場の皆と楽しもうという感じだった。
唄に関しては「最愛」を唄った時点で生歌は終わりだと思ったので最後にたくさん聴けてとてもうれしかった。上手いとは思わない、普通だと思うけどこういうイベントで聴かせられるくらいには唄える感じ。カラオケの上手いっていうのとは違う、素人の唄い方とは違う感じ。そして去年も思ったけど健くん声が出るんだ。ちょっとたどたどしい感じではあるものの、ちゃんと唄えるし、ちょっと頼りなげで寄り添いたくなるような歌声は好きだ。
それに唄の方が健くんが見えやすい。特にミスチルを唄うときは普段見せない部分がよく見えて「そりゃこんなの見たら好きになるよなあ」としみじみ思った。たぶん自然に気持ちが入ってそれが表情に出るんだろうな。それで繊細さや純真さ、潔癖さが見えてしまうんだろう。自分自身も含め、物事に対して客観的で適切な距離を置き己の思い描くさまに近づけようとするのは、きっと善くも悪くも健くんが澄んでいるからだと思う。唄っているとき「最愛」「残像」「口笛」以外はステージを移動し、距離はあるものの立ち止まってほぼ正面で唄うその姿からもそれは見えた。
何だかまとまらないがまとめると、佐藤健という俳優がどういう人であるか、どれだけファンを大切に思っているかがわかるイベントだった。最後のメッセージを聞いててちょっとだけ申し訳ない気持ちになったけど(あたしは健くんの仕事をあまり評価しないので)、とても大切にされているんだなと思って涙が出た。うれしいとかしあわせとかそういうのを通り越して、うれし過ぎて胸が痛くなった。なんでこんなに思ってくれるんだろう、どうしようもなく好きだと。
こういうことを書くと「すごく痛い人だな」と自分でも思うのだけど、本当に本当に健くんが好きだと思い、そしてとても楽しくて、その楽しさと健くんに酔いしれた時間だった。
以下戯言。書ききれず後から思い出したことの覚書。順不同。
・「ずっと二十歳になりたかったし、二十歳って1番いい歳ですよね」
・たける検定で8問出題されたと言われ、考えるような顔でマイクを握った手の人差し指だけを立てて数えるように動かしていたのに「うわー!」となった。
・「春馬」と言うのが生で聞けてとてもうれしかった。三浦春馬くん、春馬、春馬、春馬、春馬くん、と計5回言った(はず)。
・やっぱり生が好き、はそれしか想像出来なかった。みんなそれを想像したのであえて誰も突っ込まなかったんだと思う。
・とにかくかわいかった。かわいいという声もたくさん上がった。健くんより明らかに年下の女の子もかわいいを連呼していた。
・どうしてもどんな顔をしてるのか知りたくてときどきビジョンを見た。リラックスして楽しそうないい表情ばかりだった。
・客席とのやり取りは去年より少ないと感じた。
・通、ルイルイとのパフュームは本当にかわいかった。去年は笑っちゃったけど今回のはただただ「かわいい!」と見入った。
・これまでテレビで見て何度も思ったことだが座り方が女の子っぽいと思った。
・ときどき春馬くんの言う「たける語」が出た。イントネーションや語尾が変だったり女の子っぽかったり。
・髪伸びた!
・てゆうかマジで本気になりそうだ。やばい。
・戯言なのにテンション低いのはそのせい。いろいろ忘れてるからってのもあるけど。
以下余談。
あたしは健くんが好きだが、あたしの好きな健くんは幻想だと思っている。自分の頭の中で作り上げた佐藤健像を好きになっているだけだと。そしてそれを前提として。
実物を目の前にし「実在は強い」と思った。ビジョン見てなかったからっていうのも大きいんだろうけど、健くんが持ってる空気やなんやらがダイレクトに自分に届き、それは頭の中で作り上げた健像より強い。実在、触れればその存在を実感出来るという物理的事実は感覚に訴えるものが強い。
でも同時にそれは幻想としても存在する。目の前の実在はフィルターを通してリアルタイムで幻想へと変換される。交わることなくどこまでも平行して存在する実在と幻想。
あたしは健くんに限らず対象は決して手を触れられない存在でいて欲しいので「これは幻想だ」と線を引く。引くんだけれども、健くんを見ていて実在と幻想が同時に自分の中に存在した、とイベントが終わってから思った。
